私が開院した理由

 

施術家だった祖母の教え

私が高校に入るころまで祖母は
鍼灸院をやっていて、不便なところ
にある施術院にもかかわらず、多く
の方が遠方から来られていました。

当時は町内に医療機関が少なかった
ため、多くの難しい利用者さんが
施療時間に関係なく来られることが
ありましたが、どんな時も、優しく
「大丈夫よ」と励ましながら施術を
していました。

祖母は施術の技術が高いというだけ
でなく、利用者さんの不安を取り除き、
心の安らぎを与える人でした。

利用者さんの中には、祖母の人柄に接し
人生相談をされる方も多くいました。

祖母は私に、「人はみな【偉い人】
になりたがるけど、本当に大事な
ことは【尊い人】になることなのよ」
と、人の道を教えてくれました。

そんな祖母の施術家としての生き方が、
その後の私の人生に大きな影響を
与えました。

 

医療の道を志すきっかけ

京都の龍谷大学法学部卒業後、何と
なく、医療にかかわる仕事なら、
やりがいがあるのではないかと思い、
医療メーカー(日本で初めて 首や
腰を引っ張る牽引機を作った会社)
に入りました。

そこで、整形外科や接骨院を回って、
いろんな先生と接する中で、施術家で
あった祖母を思い出し、祖母のような
生き方をしてみたいという思いが、
少しづつ膨らんできたのです。

 

新たな道に

自分の思いがはっきりと固まった
とき、会社は1年で やめ、大阪の
医療専門学校に行くことを決心し
ました。

一年受験勉強して、
医療専門学校に合格。

整骨院で修行をしながら、
学校に通いはじめました。

この時、自分と同じ施術家の道を
目指したことを、祖母は心から喜んで
くれたのですが、それからしばらくして
祖母は帰らぬ人になってしまいました。

人生を人の為に尽くすことにささげ、
多くの人に尊敬され、愛された祖母は、
私にとって偉大な存在でした。

国家資格取得後も、開業するまで、
骨折や脱臼で、多くの利用者が来院
する接骨院で修行しました。

 

開業後の大きな壁

昭和62年に広島の呉で
現在の和楽堂を開業

当初は、ケガの利用者さんが多く
来られ、とても順調でしたが、評判が
良くなるにつれて重度の慢性症状
(椎間板の異常、坐骨周辺の痛み、
変形性の関節痛)の利用者さんが
来られるようになってきたのです。

私はケガ専門の接骨師で、重度の
慢性症状の利用者さんを直す知識も
技術もほとんどもっていませんでした。

直せない、直らないという
大きな壁に突き当たりました。

多くの苦しんでおられる利用者さんの
症状を少しでも良くするには、さらに
高度な手技の勉強をしなければなら

ないことに、この時初めて気がつい
たのです

 

自分の目指す施術との出会い

そんな中ある先生から「整体を学ぶ
者にとって 伝説の施術家と言われる
藤原雪修の、直弟子 だった先生が、
名古屋で勉強会をやっているか ら、
一緒にいこう」と誘いを受けました。

さっそく勉強会に参加したのですが、
そこで見たその技のすごさに驚か
されたのです。

その後、私は藤原雪修先生の流れを汲
む、同じ流派の三人の師に学びまし
たが、三人目、最後の師である坂口明
という 天才整体師との運命的な出会い
があり、 バランス反射療法を学ぶことが
出来たのです。

 

つらい症状で悩んでおられる利用者さんの為に

この手技で、少しでも辛い症状で
苦しんでおられる方を楽にすることが
出来たらという思いから、毎月2回
土日にかけて大阪と名古屋に、体の
バランス学の勉強をするのに、雨の
日も風の日も欠かさず11年通い講師の
資格を取りました。

阪神大震災の時は日本海の山陰線
回りで8時間かけて名古屋に行った
こともあります。

現在も年に数回は、技の精度を
上げる為に通っています。

 

祖母の志を胸に

祖母は、私が施術家として独り立ち
した姿を見ることなく亡くなって
しまいましたが、祖母の志を受け継ぎ、

これから先も、自分の持てる最高の
施術を提供 し、多くのつらい思い
をしている方々の改善の道を、共に
探し手助けして、心身ともに健康に
なっていただくことが、私の使命だ
と思っています。

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